神道では亡くなった人はどうなると考えられているのか?
一つの考え方として説明をしますと、
人はこの世の中に生まれでる時、宇宙の大霊(たいれい)が4つの魂と共に体に入ると言われています。大霊は神様の御霊のことで、4つの魂とは
- 幸霊(さきみたま)・・・みんなの幸せを祈る優しい心
- 和霊(にぎみたま)・・・みんながいつも楽しくにぎにぎしくあればいいなと思う心。転じて家族を愛する心
- 奇霊(くしみたま)・・・ものごと(くしびなもの)を探求する心
- 荒霊(あらたま) ・・・人に負けたくない心(闘争心)
で、これを総じて 一霊四魂(いちれいしこん)と、言います。
神様の御霊(みたま=大霊)を『ひ』と呼びます。
この世に生を受ける時、この「ひ」が「体」に入ってくることから「ひ」が「くる」ことで「ひ・くる」。これが訛って「いきる」という言葉が生まれました。
また、熱い「火」も御霊の「ひ」とつながるところがあり、このことから人は「ひ」が入る(生きる)と体が熱くなると言われています。
人はこの世にお別れを告げる時、「ふー」っと一度息を吐くそうです。
この時、体の中の「ひ」が居なくなるそうです。「ひ」が「いぬる」ことで「ひ・いぬ」。これが訛って「しぬ」という言葉が生まれました。
体の中の「ひ」(「火」)が抜けるわけですから、体も冷たくなるのです。
体から去った「ひ(=霊)」は産土(うぶすな)の神に導かれて私たちの命の源である大霊の元に帰っていきます。
そして現世で持ち続けていた感情(四魂)の内の荒々しい感情すなわち荒霊(現れ霊 あらわれみたま=目に見える感情・喜怒哀楽)と安寧(あんねい=平和を祈る)を祈る感情、すなわち和霊、の2つの感情がこの世に残ると考えられています。
神道ではこの残された2つの感情を祀ります。
荒々しい感情である荒霊と肉体とが神道のお墓である奥津城(おくつき)で祀られ、現世に残した思いを少しずつ浄化していきます。
安寧を祈る感情である和霊は霊璽に遷され共に生きた家族たちを見守る為に祖霊神として先祖の御霊と共に祖霊舎(それいしゃ)の中に存在し続けます。
私たちは祖霊舎の中の霊代(霊璽=れいじ)を通じてご先祖を想います。
ご先祖様も温かい心で私たちを見守ってくれます。
このお互いの真心がつながり合うことを「ま・つりあう」と言い、これが訛って「まつり」となります。
神道の「○○祭」とはこの言葉から来ています。